もうおやすみなさいブログ

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パンくずパンチ

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公園で鳩に餌をやっているおじさんがいます。多分鳩界からしたらボーナスキャラとして定着しているのでしょう。おじさんの周りには人一人飛ばせるくらいの数の鳩が群がっています。遠目でわかりにくいですが、おじさんは多分パンくずを撒いているようです。これはどこにでもあるよく見る光景なのですが、違和感があります。この違和感の正体が気になって、僕はしばらく観察していました。すると、パンくずを撒く動作の中に、明らかにパンチしている時があるのです。

パンくず·パンくず·パンチ·パンくず。パンくず·パンチ·パンくず。と言った具合です。鳥シャドーかな?って思ったのですが、違いました。おじさんはカラスを殴っていたのです。

おじさんの中では「鳩には餌はやるが、カラスにはやらない」というルールがあるようで、鳩へはパンくず、カラスへはパンチという、常軌を逸した差別行動ぶりでした。カラスからしたら全く原因がわからないはずです。

前々から至る所で宣言しているのですが、僕は鳩が大嫌いで、カラスが好きです。天邪鬼というわけじゃなく、鳩の生き方が嫌いなのです。鳩の尊厳を守るためにちゃんと言うなら、「人に媚びる鳩」が嫌いなのです。まあ鳩についてのむかつきはもう言い疲れたので、もういいです。今日はカラスの立場で考えたいです。カラスは生命会議の時に、誰もが嫌がる清掃担当に任命されたため、死肉をあさります。その姿だけで、やれ「死神」だとか「不幸の象徴」だとか「リーゼント」だとか言われ放題です。保育園のころも「カラスは欲張りすぎてすべての色を手に入れようとしたから結局全部の色が混ざってしまって身体が真っ黒になってしまった」というオチの演劇とかありましたからね。偏見と差別のコンボです。

なんだか偉そうなことを言うと、この鳩たちと、人間が重なることがあります。

群れで行動し、自分たちの要求は伝えず、「くれると言うならもらうけど?」といった姿勢です。

鳩でもやってるくらいなので、生物が生命活動を効率よく続けるための、かなり有効な手なのでしょうが、僕は気に入りません。

先日、友人との話の中で、「理論としての矛盾は生じてないけど、感情や美学などが欠落している人間」という内容が出ました。

 

「間違ってはないが、かっこ悪い」

 

コスパ至上主義が生み出した人間だと思います。僕もそういった時代に生きているので、気をつけなければすぐにそうなってしまうだろうし、実際半分くらいそういう部分があるのでしょう。

 

ちゃんと生きなくちゃなと思いました。

 

おやすみなさい